共生~大人発達障がいの凸凹日記~

発達障がいをもつ20代女子の奮闘日記 障がいをうまく生かすため日々精進

発達障がいの診断を受けて

何回も書いては没になってます(笑)

今回のテーマは「診断を受けて」

私が発達障がいを疑って診断を受けたきっかけから、かつての私のように発達障がいかもしれないと悩んでいる人に何かヒントになることを記事にできたらと思います。

発達障がいを疑ったきっかけ

私が発達障がいについて知ったのは、大学の講義です。

私は教育学部でも教員養成系の大学でもないですが、卒業要件と別に教職課程を履修すれば、教員免許を取得できます。

そのなかの1つ、教育心理学の講義で発達障がいをもつ子どものドキュメンタリーのような映像を見ました。

映像には数人の子どもの生活が描かれていました。

・学校の机の中がぐちゃぐちゃ

・プリントや手紙をすぐになくす

・忘れ物が多い

・話し出すと止まらない

・友達とうまく関われずトラブルになる

・不器用ではさみや裁縫道具がうまく使えない

・ことばでうまく伝えることができず手がでる

「あれ、これ小さいときの私じゃん。」

このことがきっかけでネットや大学の図書館で調べまくりました。(特性上、気になったことはとことんやってしまうのですw)

調べてるうちに、学童期に発達障がいと診断されず、大人になっても困ってる人がいる。ということがわかりました。

診断を受ける前、こんなことがうまくいかない、困ったなと感じたことをまとめていきたいと思います。

大学で困ったこと

入学~1回生

大学に入学して困ったのは、友達ができない、でした。

入学してすぐはみんな友達作りに必死でたくさん声をかけてくれたのですが、1か月もすると交友関係が固定され、次第に声をかけてもらえなくなりました。

自分から声をかけることがとても苦手で、そこに入っていくことができなかったのです。

結局半年間、ずっと一人で大学生活を送っていました(笑)

その後、一人になった私に声をかけてくれた人がいて、その人とはそれ以来大学生をエンジョイしています。

大学の講義も大変でした。

大学の教員は、小中高校の先生のようにきれいに板書する人はほとんどいません。

授業で先生が話したことを聞き取ってメモし、それをまとめる能力が必要です。

私の場合、耳から得た情報を記憶し整理する能力がかなり劣っているので、授業が全く分からないのです。

特に、最近はやりの"all English"の授業は理解不可能でした。

①耳から得た情報を記憶し②メモをする③メモをまとめて④理解するというステップを踏む間に、頭がパニックを起こすのです。

これは最後まで自分でどうにかすることができませんでした。

けれど単位をとらないと卒業できません。

私がとった対策は、その授業の教科書を何度も読み、わからないことはネットや他の文献で調べ、文字を見て記憶する、という方法でした。

これは私が目でみた視覚的情報を処理する能力に長けているからできました。

今思ったらすごい記憶力だ(笑)

2回生

2回生になると授業が増え、たくさんのレジュメを管理しなければならなくなりました。

ADHDの特性をもつ私にとって、それは何を意味するか分かるでしょう(笑)

あのレジュメがない、今日使う資料忘れた、などなどたくさん失敗しました。

無くさないようにレジュメは同じファイルに入れ、すべて持ち歩いていたので一般的な大学生が持つようなかばんでは収まらず、登山用のリュックを購入しました(笑)

発達障がいをもつ大学生にとってゼミ活動は鬼門です。

ゼミはおよそ10~20人が1クラスで、担当の教員が一人います。

ゼミでは、講義形式の授業ではなく、ディベートや発表などアウトプットが重視される授業です。

私は興味のあることは寝るのも忘れて調べ上げ、資料を作り、発表のために何十回と練習していくので、それなりにこなせていました。(むしろ得意と思っていたw)

しかし、私の場合、徹底的に調べてどんないいい資料を作っても、言葉にしてうまく説明できないので相手に伝わらないのです。

また、発表が終わると質問タイムがあり、みんな質問してきます。基本的に黙ってしまい、答えられません。

予め用意してないこと、何度も練習してないことは言えないのです。

3回生

3回生になると、ゼミ活動も活発になり学外でも活動も増えていきました。

と同時に4回生の教育実習へむけて、教職課程の授業も本格的になり、平日は朝から晩まで授業、土日は課題に追われる日々でした。

優先事項が決められず、見通しが立たず、パニックを起こすこともしばしば。

とうとうキャパオーバーになり、大学へ行けなくなってしまいました。

幸いにも学校へ来ないことをゼミの先生が心配してくれて、なんとか立ち直りまた大学へいくようになりました。

けれど、この苦しみから解放されたい。なんで頑張っても頑張っても足りないんだ。やっぱり私は発達障がいなのか?

と、診断を受けるまで一人で悩んでいくのでした。

4回生

なんとか立ち直り無事4回生に。一番の山場、教育実習がありました。

教育実習、指導教官が星野源にそっくりのイケメンで目の保養になりまst(変な話してごめんなさい)

教育実習では、今までにないぐらい大きな壁にぶつかりました。

基本的には指導教官の指示のもと実習を行いますが、もちろん他にもたくさん先生がいます。

みんな言うことちがうんですよ。もうパニック寸前。

あと、明文化されてないしきたりがあったり、言われなくても察して行動するのが当たり前みたいな雰囲気だった。

(指導教官だけは簡潔にあいまいな表現は避けて指導してくれたので、ほんとに助かりました。)

教育実習のことは詳しく別の記事で書きたいなと思っているので、また見てください。

なんとか教育実習を終えて、「私、先生向いてないな。」って感じたのです。

指導教官のような上司に出会えたら、やっていけるのかもしれません。

けど、教育現場ですら理解があまりないのが現状です。

今まで目指してきた教員をあきらめなければならないのかと思うとメンタルが崩壊寸前でした。

 

なぜこんなに困っていながら診断を受けなかったのか

なんで、メンタル崩壊するまで放置したの?と思う人絶対いますよね!w

実は、何度も行こうと思いました。

けど、自分に障がいがあることを受け入れたくなかった。

診断さえなければ、自分は健常者なんだ、と言い聞かせていました。

実習が終わってからごはんに誘っていただいた指導教官にすべて打ち明けました。

指導教官は私にこんなことを言いました。

「今までいろんな努力してきたん伝わるけど、それってすごい非効率よね。」

「どうしてもうまくできないこと努力するより、できないことは手伝ってもらって、(本名)にしかできないことやったほうがいいじゃん。」

「そのために(本名)が今すべきことは考えれるんとちがう?」

「障がいがあろうとなかろうと(本名)は(本名)やから。」

私がうまくできないこと、困ってて人よりたくさん努力しないとできないことを手伝ってもらうには、まずは自分と向き合わなければいけない。

だったらまずは自分を知るために病院へ行こう。

教育実習に行って、指導教官と出会って私は一歩踏み出すことができました。

 

発達障がいと診断されて

その後、検査を受けた結果、発達障がいであることがわかりました。

検査結果を聞いたとき、ホッとしました。

「私の努力不足じゃなかった」という気持ちが大きかったです。

けれど診断が出たら終わりではありません。これからどうしていくのか、どうしたいのかを考えなければなりません。

自分の適性とやりたい仕事が真反対だった私。

これからのキャリアを考える、0からのスタートです。まだ診断から1年もたってない今の私の課題です。

 

 

 

つたない文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。

これから、わかりやすい・伝わりやすい文章を書けるように努力していくので暖かく見守ってください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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