就労移行支援事業所の体験利用へ行ってきました!
そもそも就労移行支援って?
終了移行支援事業とは、障害福祉サービスの1つであり障害者総合支援法に定められています。
障がいのある人が企業へ就職するにあたって次のような支援を受ける通所サービスです。
- 仕事に関する知識やスキルを学ぶ
- 就職活動のサポート
- 就労定着のための支援
他にも事業所によってはキャリアカウンセラーのかたがいたり、企業へのインターンを行っている所もあるようです。
まずは説明会へ…
9月の末、ある就労移行支援事業所の説明会へ行きました。
私は初めての場所・人・ことに大きな不安を感じ、一人で動くことが難しいので大学時代からお世話になっている支援員さんに引率してもらい説明会へいきました。
私の場合は事業所が説明会の日程を設定してあり、ネットか電話で申し込む形でしたが、事業所によってはそのような設定はなく個別で相談に応じるところもあるようです。
説明会の内容は、事業所が行っている支援とカリキュラムについてでした。
説明会のあと、体験利用を希望する人は個別相談になりました。
もちろん説明だけ聞くのもOKだし、体験利用後合わないと思ったら他の事業所へ行っても構わないよ、とのことだったので、とりあえず体験いってみよう!と思いました。
いざ、体験利用へ!
説明会から数日後、体験利用へ行きました。
午前中はPCや事務作業のスキルを学ぶ時間でした。
PC触るの好きだし、作業は黙々とできるタイプなのでそれ自体はクリアできたのですが、なんせ初めての場所に初めての人がたくさん…
緊張から過集中モードON!かなり疲れました…
午後はグループワークの時間。
今回は自分の気になった新聞記事を紹介するというテーマで、紹介した記事について質問や意見を発表するというものでした。
実は私、グループワーク苦手ではありません!(渾身のドヤ顔w)
よく発達障がいって、協調性がないとか空気読めない発言しちゃうとかコミュニケーションとれないとか言われるので、こういうグループワークなど対人スキルが苦手と言われますよね?
まあ5年前の私はそんな感じでしたが、大学でめちゃくちゃやらされ、うまくできないと責められ、もっと協力しろだのたくさん怒られた末に、コツをつかみました
- グループワークにはテーマがあるのでそのテーマについて徹底的に調べておく
- そうすると発言の見通しがたてやすいから余計なこといわない
- 余計なこと言わないでの相手の意見を聞くことができる
- 時間など明確なルールがあるのでそれにのっとる
を意識してやるようにしたらだいぶうまくなりました。
だからグループワークという枠組みの中ではうまく発言できるし、相手の意見を聞くこともできます。
つまり私の場合、ルールが明確だとうまくできるのです。※いまだにルールがない(曖昧だ)とコミュニケーションが崩壊しますw
今回のルールは紹介者は2分間でまとめる・その後3分意見や質問をする時間を設ける、でした。
話すテーマとルールさえ明確なれば何とかなるんだよ私は!と思いつつも、緊張であまり発言できませんでしたw
という感じで利用体験が終了しました。
体験終了後の面談
体験が終了し、フィードバック面談を行いました。
「PCスキルもあるしグループワークの発表もうまくできてて、とてもよかった」とほめていただきました!
今回体験利用で行ったカリキュラムは、大学ではできて当たり前のことでできないほうがおかしいと思われていました。
だから上記のような私なりの工夫を誰も見てくれません。
努力の結果うまくいったことをほめてもらってとても嬉しかったです。
※ちなみに、かなり過集中してしまい面談終了後家に帰ったらバタンキューそのまま次の日も起き上がることができませんでしたw
体験利用の感想
緊張で過集中を起こしかなり体力を消耗しましたが、カリキュラム自体は難なくこなせる、ちょっと物足りないかな?って感じでした。
けど、私が体験利用にいった事業所にはカウンセラーが常駐していて、精神面でも支援してもらえることが大きいと感じ、今回体験利用した事業所を利用しようと決めました。
また就労定着したあとも面談やOB会があり、何かあったときに戻ってこれる場所になるだろうと思ったからです。
最後に…
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今回は体験利用の話でしたが、今後この事業所を利用させてもらうので、体験談をブログにしていこうと思います。
現在、自治体の認定調査待ちでもう少し時間がかかると思いますが、またブログに遊びに来てください!
ブログさぼり中のともいき【後篇】
PMSの治療開始
リハビリが順調に進み日常生活に戻ってきた頃、ずっと悩んできたPMSの治療のため婦人科を受診する決意をしました。
生理前になると他人に暴言を吐いたり、鬱っぽくなって「死にたい」と思うようになったり、いつも以上に仕事がつらいと感じます。
これは私だけなのかな、障がいの特性が強くなります。
- 普段は気を付ければ忘れ物は減らせてるのに、めちゃくちゃ増える
- 聴覚過敏が強くなって、窓を開けられない
他にも小さいことはたくさんありますが、この2つが顕著に出ます。
このままだと就労の定着に大きな支障がでると思い、ネットで調べてPMSの治療をしてくれる病院を探して受診しました。
ネットで大々的にPMSの治療に力を入れていると書いていたので、とてもスムーズに治療へたどりつきました(ピル処方のための検査で痛い思いしたけど…)
病院ではピルでの治療と漢方薬による治療どちらがいいか(ピルを飲むことに抵抗があるか)を聞いてくれて、私はピルでの治療を選択しました。
twitterでPMSはピルで落ちついたと言ってるフォロワーさんが結構いたので、迷いなく決めました。
PMSの治療だとピルの処方も保険が使えるのですが、それでもかなりの出費。
腰のリハビリも順調だったので、バイトに復帰することにしました。
バイト復帰~上司のパワハラ
バイトは週3回、1日4時間ほどです。
月に4万ぐらいありましたが、年金・携帯代・通院費などでおおよそ半分はとんでいき、もう半分は生活費として徴収されました。
学生時代友達がほとんどいなかったので、使わなかったバイト代を貯金してたおかげで、職場の飲み会や急な出費に充てることができてました。
けど、貯金は有限です。
減っていくたびにこのままじゃまずい…と追い込まれていきます。
そんなとき、ある出来事がありました。
4月から配属になった上司(60代女)からパワハラを受けたのです。
関わってもないややこしい案件の責任をとらされ、クレームを入れてきた相手の前にバイトの私を出し、女は責任を逃れようとしました。(この問題はもう解決済みで女はクビ寸前ですwざまぁw)
私は関わってもないので、何もできずにパニック状態。
そのときの強いストレスで完全に心が折れてしまいました。
しかもこの事件、お盆まっただ中で起こったので病院も支援員さんもお休み。
朝になっても眠れない、ご飯はおろか水分すらとれない、スマホが重くてもてない…
そんな状態でお盆が明けるまでの1週間耐えたのです。
お盆明けやっとの受診
お盆明けすぐ、かかりつけの心療内科に受診。
いつもは月に10錠あれば睡眠導入剤足りていたのに(PMSで眠れないときのみ飲んでた)今回の件で眠れなくなってしまったので、いつもより多めの処方。
精神安定剤はPMSの治療に影響がでる可能性があるので見送りでした。
(長期的にみるとホルモンに影響を与えるためだそうです。)
薬がよく効くので眠れるようにはなりましたが、精神は不安定なまま。
ピルも体に合ってないのか、一向によくならず…
ほんとにつらい日々でした。
他の同僚からは、バイトに残るように説得されましたがフラッシュバックが起きるなどとても続けられる状況じゃなかったのでやめることにしました。
別のピルの処方
心療内科の主治医から「うちから薬を出す前に婦人科にいって処方してもいいか聞いてきなさい。」と言われたので、婦人科へいきました。
あまり改善が見られないこと、心療内科から薬を処方してもらっていいかを尋ねました。
婦人科の医師は「ピルの種類を変えてそれでもだめだったらにしましょう。」と言って、別のピルを処方され様子をみることになりました。
まだ1シート目ですが、つらい副作用もなく(若干の体重増加はあり)体にあってるようです
このピルにしてから体の調子もよく、鬱っぽい症状から少しだけ脱却できたように感じてます。
調子がいい理由
前後篇にわたって、ブログをさぼってる間どんな状況だったかまとめてみました。
ただの自己満だけど達成感(笑)
どうして、今こうやってブログ書けるぐらいに体調が戻ったのか考えてみたんですが、
- ピルが効いている
- 仕事を完全にやめてから、ストレスが減って安定した
の2つが大きいと思います。
ここ数年でベスト3に入るぐらいの安定感で、とても嬉しいです。
体調が安定してる限り、自己満ではありますがたくさん更新したいと思いますので、気が向いたとき読んでいただけるととても嬉しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
ブログさぼり中のともいき【前篇】
どうもお久しぶりです!
半年以上ぶりにブログ書きます。
安定の三日坊主でした、すいませんでした…(笑)
下書きはたくさんあって何度も投稿しようと思ってたのですが、推敲するにいたらず…
わからないうちに精神的にかなりきてたみたいでお休みしてました。
けど、10月に入ってからとても調子がいいです。
数年ぶりに部屋を片付けようと意欲がわいたり(もちろん実行した)、1日12時間以上寝てて、起きてもご飯とトイレ、たまのバイト以外ベッドの上という生活だったのが、起き上がってる時間が増えたりしました。
(そんなこと言って、寝坊で久しぶりバイト遅刻していったことはノーコメント)
てことで、調子いいうちにブログ更新したいなと思ったので書こうと思います。
今日はブログをお休みしてた間の体調の変化、起こった出来事からみなさんに伝えたいことを添えてまとめたいと思います。
※たぶん長文になります(笑)
大学卒業間近~親への告知
前回のブログ更新した2月は丁度大学の卒業式間近で、みんなその話でもちきり。
就職先決まってないのは私だけ、友人には障がいをクローズにしてたので話を聞くのがつらくて卒業式が近づくほど病んでいきました。
卒業が近づくと親は就職の話をしてきます。
このときはまだ、親には障がいを告知していません。一度診断を受けたくて親に相談したら、全否定されたことがあり怖かったからです。
当時の私は診断がでたもののその先どうしたらいいかわからず、「今は働きたくない、週3日ぐらいで今のバイト続ける」と伝えました。
親は大激怒。「働かないならうちで生活させない。」とまで言われました。
さすがに障がいの告知なしに説得できなかったので、両親をつれて主治医に告知してまらうことに。
うちの病院では、心理検査を担当してくれた心理士さんが検査の結果を詳しく説明してくれます。(検査結果はまた後日ブログにします。)
「(本名)さんには、○○の特性があります」「~~のような工夫でうまくいくことがあります」「★★が理解しにくいようです」などの説明を受けます。
一通り説明が終わったあと親はこういったのです。
「今説明してくれたことって努力次第でどうにでもなるんでしょ?」
「理解しにくいだけで、普通ならできることができないのは本人の努力不足ってことですよね?」
心理士さんフリーズしてました(笑)すごく言葉を選んで返答してました。
親に受け入れてもらえなかった…私を否定された…そう感じ、ここから私の心がどんどん病んでいくことになります。
卒業後~親からの圧力
大学も無事に卒業しまし、障がいを告知してから初めて親と話をしました。
親の主張をまとめると、
- 就職できなかったことはしかたない認めてやる
- だがバイトは昼からしかないなんて許さない(バイト先が昼からしかなかった)
- パートでいいから仕事見つけて、毎日朝から晩まで普通の人と同じように働きなさい
- 稼いだお金は家に入れなさい
- 自分でお金の管理できないなら通帳は預かります
ざっとこんな感じ、今考えたらただの虐待(笑)
でも、障がいがある自分・普通の人と同じようにできない自分に負い目を感じて全部従ってしまったのです。
今は通帳取り返したし、バイトもほとんど行ってないんですけど(詳細はのちほど)
で、朝8時から中学校で非正規の支援員終わってすぐバイトに向かうというハードな毎日を送ることになりました。
働き始めて~さっそく限界がきた
朝から晩まで働き始めました。最初の3日で鬱のような症状が出始めました。
ただ、生理前だったので「今月はPMSがひどいなぁ」と思っただけでした。
それから1か月頑張って働いてましたが、1か月後歩けないほどの腰痛に襲われました。
昔腰にけがをして同じような痛みがあったので古傷がいたんだぐらいにしか思ってませんでしたが、精密検査をうけてもそのときのような外科的異常が見つからず。
おそらく心が壊れる直前のSOSだったんでしょう。
トイレすら行けず人生で初めて介護用おむつで3日間過ごしました(笑)
(歩けなくなったのが職場でだったので労災おりてラッキーでした笑)
医師からは再発の恐れがあるので自宅療養を命じられ、結局1か月で退職することになりました。
自分を責め続ける日々~引きこもり
一か月で仕事をやめ、リハビリの毎日。
仕事が続かなかった自分責めてしまいどんどん心を病んでいきます。
もちろん約束した生活費など払えるはずもなく。
親に顔を見せられないと思い部屋に引きこもることが増えました。
しかし、仕事をやめたおかげがリハビリが上手くいってたのか定かではありませんが日常生活を送るには問題ないぐらいまで回復しました(もうスポーツはできないけど)
学生時代から続けているバイトは退職にせず籍を残しておいてくれたので、医師から仕事復帰の許可をもらい昼からだけバイトするようになりました。
(まあ親は朝家にいることをすごく文句いうし、生活費入れられるほど稼げないからご飯と風呂とトイレ以外リビングにいることを禁止されてしまいましたけどね)
続きは後篇で!
ここまで書いて2000字超えたので、前後篇にわけたいと思います。
後篇はバイトでの出来事、就労移行支援の体験利用など、まだまだたくさんありますので、ぜひみてください。
目標は連休の間に更新すること!
最後まで読んでいただきありがとうございました。